読み物「ほのぼの旅する」

東北最古の窯場
会津本郷

「会津本郷焼(あいづほんごうやき)」は、約400年の歴史を誇る会津本郷地区の伝統工芸品。メインストリートである瀬戸町通りから分かれる路地には、今も13の窯元が点在しています。会津本郷焼の面白さは、13の窯元それぞれの作風がオリジナリティに溢れているところ。気軽に歩いて回れるエリアの大きさながら、実は陶器と磁器の両方をつくる、稀少な産地なのです。

ピンチを乗り越えて受け継いだ伝統

会津本郷焼の始まりは戦国時代。1593年(文禄2年)に当時の会津藩主が鶴ヶ城の改築の際に播磨国(兵庫)から瓦工を招き、黒瓦を焼かせたことと言われています。藩の支援を受けて陶磁器の生産が発展。1800年(寛政12年)には白磁の製法も開発され、全盛期は会津本郷に100を超える窯元がひしめきました。

しかし、大きなピンチが2度も会津本郷を襲います。最初は戊辰戦争時代(1868〜1869年)。陶工が出陣してしまい、工場は戦火に遭ってしまいます。一時は産業が成り立たない状況になったものの、再起を誓った陶工たちが一丸となり、明治中期には欧米各国へと製品を輸出するまでに復興を遂げました。しかし、再びのピンチ到来。1916年(大正5年)に、大火で製陶工場の大半を焼失してしまうのです。産業は窮地に陥りましたが、再び再興し、今日の会津本郷焼として広く知られるまでになりました。

趣向を凝らした陶磁器と出会う

磁器と陶器に広がり、作風のバリエーションも広い会津本郷焼ですが、それぞれに特徴があります。例えば、陶器は実用的なデザインが多く、伝統的な釉薬(ゆうやく)が使われていること。鉄分を含む青緑色の釉薬をかけて焼いた「青磁(せいじ)」、白素地に無色の釉薬をかけた「白磁(はくじ)」、釉薬をかけずに炭と一緒に焼く「炭化(たんか)」など、さまざまなスタイルがあり、光沢の有無や手触りなども一つひとつ違います。

一方、雪国に生まれた純白の肌の磁器は、日本古来の絵の具「呉須(ごす)」という青色の顔料を使った染付や、西洋の絵の具を使った多色の色絵などが施されているのが特徴。ちなみに、陶器は的場粘土、磁器は大久保陶石を原料に使い、いずれも地元産です。

会津本郷エリアは、そんな伝統と歴史、そして時代性を取り入れてつくり出した陶磁器と出会うことが出来ます。

焼き物産地ならではのまち並みを歩く

会津本郷エリアを散策していると、工房や家々を縫ってシャララと水路の涼やかな音が聞こえて来ます。かつては水車が並び、水流を利用した土づくりも行われていたそう。時折見かける土壁に漆喰を塗って仕上げられた土蔵は、凍てつく冬の寒さから陶工を守るために建てられたもの。低い位置に窓があるのは、暗い室内でも細工や絵付をする陶工の手元に十分な明かりが入るようにするためだったそう。

夏には蛍が飛ぶと言われる水路に目を向けると、何やらキラッと光るものが落ちていることが。これは、「じゃらんかけ」と呼ばれる割れた陶磁器のかけら。水路を覗き込み、様々な色や柄を探しているうちに、宝探しのようなわくわくした気分になります。

作品が一堂に集まる「会津本郷せと市」

この会津本郷エリアが最も賑わうのが、毎年8月第1日曜日開催される陶器市「会津本郷せと市(以下:せと市)」。旧暦の7月1日に、“会津の高野山”こと八葉寺への「冬木沢参り」のため、ここを通る人々に向けて明治期に窯元の弟子達が小遣い稼ぎに「蔵さらい」と称してムシロを広げ、はねものを土産物として安く売ったのが始まりと言われています。現在も開催当時のまま、夜明け前の朝4時から始まり、掘り出し物を求めて県内外から約3万人が訪れます。作家との会話を楽しみながら、お気に入りの会津本郷焼を見つけられるのがこの市の醍醐味。一堂に会した作品たちを心ゆくまで眺め、買い物を済ませたら、気に入った窯元を訪ねてみるのもオススメ。陶芸体験ができる窯元もあります。

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